ジオパークのみどころ:文化サイト

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1.長登銅山跡ながのぼりどうざんあと
長登銅山は、約1億年前に秋吉台の石灰岩とマグマが反応してできた銅を、古代から現代まで断続的に採掘した場所です。調査の結果、採掘された銅は東大寺の大仏に使われ、長登銅山は日本最古の国営銅山であると判明しました。発掘調査では多数の遺物や遺構が検出され、その一部は長登銅山文化交流館(大仏ミュージアム)に展示してあります。
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2.末原窯跡群すえばらかまあとぐん

奈良時代から平安時代前期にかけて須恵器が焼かれた窯跡群で、丘陵南斜面の東西約16mの範囲に5基が確認されています。その内、2基は上下に重複して造られ、須恵器の編年上貴重な遺跡です。また、末原窯跡群は、長登銅山との供給関係で成立したことが考えられ、6基目の窯も推測され、まだ未発見の窯があると思われます。

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3.石屋形羅漢山磨崖仏いしやかたらかんざんまがいぶつ

山頂近くに群立する砂岩の巨石に、数体の仏体が線刻されています。制作年代、制作理由等は不明です。

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4.青景銀山跡あおかげぎんざんあと

青景銀山は、約1億年前に秋吉台の石灰岩とマグマが反応してできた銀を、1573(天正元)年から66年間採掘した場所です。現在は採掘した穴(坑道)が残り、坑道の壁にはノミで掘った跡が見られます。ふもとの集落には、鉱山で栄えた頃の地名や家の呼び名(屋号)、古井戸が今でも残っています。

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5.荒川水平坑跡あらかわすいへいこうあと

大嶺炭田の無煙炭(燃やしても煙の出にくい石炭)を採掘した穴です。大嶺炭田で現在見られる穴の中で最も古く、1905(明治38)年に完成しました。明治時代に造られた、穴のまわりのレンガを今でも見ることができる貴重な遺産です。
※ガイドが同行する場合のみ、穴の中へ入れます。

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6.美祢斜坑跡(麦川)みねしゃこうあと

美祢斜坑は、無煙炭(燃やしても煙の出にくい石炭)を採掘した大嶺炭田の中で、特に大切な石炭採掘穴の1つです。地下で採った多くの石炭をここから地上に運び出していました。昔は、このまわりに石炭を運ぶための鉄道の駅もありました。

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7.於福の石灰窯跡おふくのせっかいがまあと

ここでは、明治中頃から昭和中頃まで石灰を作っていました。石灰窯の南東側の山から石灰岩を採り、北~西側の地層から無煙炭を採り原料としました。つくられた石灰は、田での肥料、セメントの材料、建築の材料(漆喰)として使用されました。

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8.長者が森ちょうじゃがもり

長者が森は、約66種類の植物からなる原生林です。タブの優先度が高く、高さ約16mの大木が主体となっています。高木層や亜高木層をなす樹木によって森の中はうっそうとしており、下草はほとんどありません。その昔、富豪が世を逃れてこの地に住んでいたという言い伝えから、長者が森と呼ばれるようになったとも言われています。

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9.江原ウバーレと集落よわらうばーれとしゅうらく

秋芳町江原地区は秋吉台西台に位置し、ウバーレ(複数のドリーネがつながった谷状の地形)の中に発達した集落です。他の集落とは隔離されており、すり鉢状の谷に家屋が密集しています。カルスト地形のため地表に川は見られず、降った雨はウバーレ内の複数の「吸い込み穴」と呼ばれる縦穴に流れていきます。このため農業は畑作中心で、水稲はほとんどありません。

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10.帰水のドリーネ畑かえりみずのどりーねばたけ

ドリーネ畑とは、ドリーネ(すり鉢状の窪地)の底を利用した耕作地のことです。秋吉台のドリーネの底は、江戸時代には既に畑地として耕作が行われていました。ドリーネの底は比較的平らで水はけがよく、畑作には適していますが、農作業の機械化や農業用機械の大型化などにより、自動車や農業用機械が進入できない農地は次第に放棄されていきました。現在では、近隣の農家により数ヵ所のドリーネで耕作が続けられ、ゴボウや里芋、白菜などを栽培しています。

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11.金麗社きんれいしゃ

大田・絵堂戦役諸隊本陣跡は、江戸時代の終わりに起きた長州藩内部の戦いの際に、高杉晋作や山縣有朋、伊藤博文らの諸隊が陣を置き、作戦会議や戦勝祈願を行った場所です。美東町大田地区の町筋北側にあり、現在は金麗社という神社があります。

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12.水神公園(乳守様)すいじんこうえん

水神公園では鍾乳石が乳守様としてまつられています。石灰岩(炭酸カルシウム)が溶けた水が、ポタポタと垂れてつららのように鍾乳石を成長させます。鍾乳石が乳房の形をしていることから、この水を飲むと母乳が出始めさらにその量が増すという言い伝えがあります。

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13.大石の棚田おおいしのたなだ

この棚田は、山間の谷が開けた場所にあります。過去に何度も土砂と水とが一緒になって流れ下っていきました。こうした流れは土石流と呼ばれます。また、この地形は、土石流扇状地とよばれるものです。大石という地名もおそらく、土石流によって運ばれた大きな石があったためと思われます。地形の傾きは急ですが、そこに何段もの田(棚田)をつくり、稲作が行われてきました。

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14.葛ヶ穴くずがあな

葛ヶ穴は美東町大田の美東町簡易水道の水源地付近に位置する総延長約1kmの鍾乳洞です。秋芳洞の上流部にあたり、秋芳洞第七新洞と連結しています。長登鉱山で最後に閉山した水溜鉱山のズリ捨て場として掘削した坑道と連結しており、自然洞窟である横穴部分も人工的に拡張されています。洞口付近にはカラミが見られるほか、坑道内では孔雀石や大理石を観察できます。自然洞口は高低差50mの竪穴となっています。