この施設では、銅鉱床のでき方や銅鉱石について学ぶことができます。また、発掘調査で出土した木簡や製錬関係の遺物、銅鉱石から作った岩絵具(緑青)およびその製造器具などを展示しています。
長登銅山は、約1億年前に秋吉台の石灰岩とマグマが反応してできた銅を、古代から現代まで断続的に採掘した場所です。調査の結果、採掘された銅は東大寺の大仏に使われ、長登銅山は日本最古の国営銅山であると判明しました。発掘調査では多数の遺物や遺構が検出され、その一部は長登銅山文化交流館(大仏ミュージアム)に展示してあります。
大田・絵堂戦役諸隊本陣跡は、江戸時代の終わりに起きた長州藩内部の戦いの際に、高杉晋作や山縣有朋、伊藤博文らの諸隊が陣を置き、作戦会議や戦勝祈願を行った場所です。美東町大田地区の町筋北側にあり、現在は金麗社という神社があります。
呑水垰は秋吉台の南東部に位置し、江戸時代の終わりに起きた長州藩内部の戦いである「大田・絵堂の戦い」の際に激戦地となった場所として知られています。現在は、それを記念した石碑が垰の一角に建てられています。
絵堂戦跡記念碑は、幕末の1865(元治2)年1月にあった長州藩内部の戦い「大田・絵堂の戦い」における美東町絵堂地区での開戦を記念して、1926(大正15)年に建てられたものです。この場所には、萩政府軍の本陣となっていた旧柳井邸の門も移設してあります。
川上の記念碑は、秋吉台の東縁に近い美東町大田地区にあります。江戸時代終わりに起きた長州藩内部の戦いである「大田・絵堂の戦い」の際に、激戦地となった大木津・川上口での戦いを記念して建てられました。記念碑の南方には、萩政府軍2名の墓もあります。
赤間関街道中道筋は、長州藩の政治の中心であった萩と、商業で栄えた下関とを最短距離で結ぶ、江戸時代の重要な街道でした。吉田松陰など維新の志士たちも多く通行しました。秋吉台周辺では、石灰岩の石畳など当時の様子を見ることができます。
二反田溜池は、湿地帯特有のカキツバタなどの約15種類の自然植物が群生し、学術的に貴重な場所です。国内のカキツバタは絶滅の危機に瀕していますが、二反田溜池では地域住民が「カキツバタを守る会」を立ち上げ、草刈り・清掃などの保全活動を行っています。
国道435号線沿いにある道の駅みとう施設内では美祢市の情報を入手できるほかに美祢市の特産品が購入でき、地域の食材を使った郷土色豊かな料理も味わうことができます。道の駅の裏には自然豊かな河川親水公園が設置されており、水遊びを楽しむことができます。